海外で飲食店を出店開業して成功するノウハウ【経営者インタビュー1】

海外飲食店開業1

3年間で約20パーセントの飲食店が日本では廃業していると言われる。これが海外となると、3年後の飲食店の廃業率は3倍に跳ね上がる。たとえ海外で飲食店の出店開業にこぎ着けたとしても、永く営業していけるかどうか、そして成功するかは運とタイミングなのかもしれない。

9年間生活していたインドネシアの首都ジャカルタにもたくさんの日系飲食店があった。たくさんの飲食店が出店開業しテナントに入りオープンしては数年で消えて行った。インドネシアという海外に出店開業しては撤退(閉店)を繰り返す飲食店の生存率は「1割」といったところが私の実感だ。

そんなハイリスクなマーケット・海外で、ラーメン店やレストランや居酒屋などの飲食店を出店開業する方法と、その飲食店の運営が成功する(儲かる)ノウハウを今回はお知らせする。ビジネス本やネットによくある無責任な海外飲食店開業の成功ノウハウではない。現在、海外で飲食店を実際に成功させている事例でありそのノウハウだ。

海外で飲食店を出店開業していくビジネスはハイリスクだ。しかし、ひとたび成功すれば、もちろんハイリターンが十分見込めるビジネスだ。以下にインタビューした方が実際にそうだ。

今回のインタビューは、実際にインドネシアで飲食店を出店開業し、そして成功をおさめ、現在も当地で事業拡大をしながら大活躍している竹谷大世(たけや だいせい)氏という経営者だ。嘘いつわりのない海外での飲食店の成功者からの直伝の内容だ。

竹谷氏は現在、インドネシア国内でラーメン店「ラーメン38(さんぱち)」を中心に、その他飲食店を27店舗展開している。業界ではかなり有名な人物だ。また、飲食店の中でもラーメンの話にかぎっては、「豚骨ラーメンを最初にインドネシアに広めたフロンティア」とも呼ばれている。

竹谷大世

インドネシアに進出して飲食店を出店開業し、儲かるように経営していくノウハウを全4回に渡って竹谷氏にインタビューした。これから海外で飲食店を出店開業したいと構想している人や、すでに日本において飲食店をやっているがあまり上手くいっていない人にとっては、非常に有益な情報となるので、ぜひ最後まで読んでほしい。

また、なにか海外で事業をしたいと思っている人にとっても知っておくべきインドネシアビジネスの情報が詰まっている。また、アイデア発想のヒントになることがあると思う。

視野を広げることは意識の幅を広げることになるので、新しい成功のアイデアも生まれてくる。

目次
[インタビューその1]
1.なぜインドネシアで飲食店を開業したのか
2.ラーメン店の開業まで
3.海外の飲食店の出店開業の手続きで苦労したこと

1. なぜインドネシアで飲食店を始めたのか

海外飲食店

海外で飲食店を開業する前にやっていたことと、インドネシアに飲食店開業の拠点を構えた理由について聞いてみた。竹谷氏が海外で飲食店を始めることになったきっかけとはなんだったのだろう。

Q:インドネシアで飲食業を始めたきっかけは?

竹谷:最初は2001年の5月に、ここインドネシアで母親がやっていた居酒屋を継いだのが始まりですね。それまでは東京の四谷のフグ割烹店にいまして、26歳の時から3年間店長をやらせていただいてました。

出世は早かったのですが、このままではいつまでたっても独立できないと感じて、「お店を辞めます」と言いました。
その時、海外で飲食店を開業することについて、お店のお客さんが出資してくれるという話がいくつかありました。
海外とは、ベルギー、サンフランシスコ、ニューヨークですね。

Q:なぜインドネシアを選んだのですか?

竹谷:18歳の時からずっと修行していて休みなく働いていたので、このタイミングで何ヶ月かゆっくりしたいと思い、バックパッカーでタイとマレーシアをぶらぶらした延長で、母親のいるインドネシアに辿り着いたんです。

母親がここインドネシアで「キラキラ銀座」という居酒屋をやっていて、ジャカルタに着いたその日にお店に行きました。

ところがその店のメニューの多さには驚いたんですが、しかし何を食べても美味しくなかったんですよ。

僕は我慢できずに次の日から調理場に入っていました。そして、メニューや味や材料などをいろいろと改良していくうちに、「キラキラ銀座が美味しくなったよ」という現地の日本人のお客さんの評判になって、一気にお店は流行り始めました。名実ともにキラキラし始めたのです。

海外の日本人って案外狭い世界です。これは意識しておいたほうがいいと思います。

居酒屋が繁盛し始め、従業員を増やして、給料を上げてということをやっていると、生まれて初めて「人のためになっている」という実感を得たんですね。それでここ(インドネシア)にしようと決めたんです。

Q:「人のためになる」とは、どういうことですか?

竹谷:日本で板前をやっている時は、熾烈な競争でした。料理人の世界は、はっきり言うと蹴落とし合いなんです。自分以外の先輩や後輩がどうなろうが関係なくて、自分の事しか考えられない世界なんですね。

そんな殺伐とした環境から一転して、ここでは他人に喜ばれる。現地の人に調理の技術を教え、その人が生活できるようにまでしてあげる。

自分できちんと給料を取れるような人間に育て上げることができるんです。これが、人のためではないかと思いました。
そして、これが僕のやるべきことだと思って、日本に帰ることも、その時あったニューヨークで出店開業する話も諦めました。

Q:インドネシアが自分の生きる場所だと思ったのですか?

竹谷:そうですね。だれかのために生きようと思いました。

飲食店1

売り上げや目標達成といった目先のことよりも、今いる環境を受け入る器の大きさのようなものも感じられた。まず自分の内側からの声をしっかりと聞き、理解し、周りを認めることから始まっている。

竹谷氏の場合、「無理をして頑張って」海外に飲食店を出店開業したのではないようだ。もちろん人並以上の紆余曲折はあったことだろう。だた、ある程度、流れに身を任せた結果が海外での飲食店開業につながっているようだ。

ビジネスにおいて「無理」は禁物である。反対に「無理をしなければいい結果が引き寄せられる」という実例だ。とにかく無理をしてはいけない。背伸びは禁物である。

2.ラーメン店の開業まで

ラーメン店開業

インドネシアに流れ着いた竹谷氏は、自分でラーメン店を開業しようと決める。なぜラーメン店になったのかという経緯とその出店費用などはどうやって工面したのか(開業資金の作り方)について聞いた。いよいよ独立して海外で飲食店を出店開業する。

Q:居酒屋「キラキラ銀座」を繁盛させた後は独自でラーメン店を開業したのですか?

竹谷:すぐにはラーメン店を開業したわけではありません。「キラキラ銀座」がそこそこ繁盛してきたので、中華系の友人と組んでまずは定食屋を始めたんです。会社は「ノミニー(※)」という形です。オペレーション的には、お店のレシピは僕が作り、従業員(スタッフ)をお店に送り込んで、利益が出たら折半していくという形(契約)をとっていました。

この定食屋もそこそこ利益は出ていました。

ノミニーとは(nominee)
外国人が当地で事業を行うために現地法人を設立するとき、登記情報に自分の名前が載せられず、ノミネート(nominate)した現地人(インドネシア人)の名義で会社が登記されることを言う。いわゆる「名義貸し」のこと。インドネシア現地人から名前を借りて会社を登記し、実質的なオーナー権は自分で持っておく形。竹谷氏の場合は、中華系のインドネシア人に名義を借りて会社を設立していたということ。
海外で一般には、名義を貸してくれる人に料金を支払い、業務範囲などの契約を交わす。香港での投資会社設立でよく使われる手法である。ちなみに現在のインドネシアでは、この「ノミニー」という契約の形は禁止されている。

ラーメン店を開業しようと思ったのは、キラキラ銀座でラーメンを出していて、色々と改良していっていたら「ラーメンが美味しい」という評判になりました。居酒屋なのにラーメンだけを食べに来るお客さんも結構いたんです。

僕は反対に「ラーメンが食べたかったラーメン屋に行けばいいのに・・・」と思っていたのですが、当時はここジャカルタに美味いラーメン店はなかったのです。だからラーメン店を出店すれば、お客さんが流れてくるかなという単純な考えからです。まあ、自分もラーメンが好きなのもありますけど。

Q:ラーメン38はどういう経緯でできたのですか?

竹谷:日本人のパートナーはPMAをすでに取得していました。そのパートナーと「ラーメン店をつくろう」と話が進んだ時には僕にもその手続きは十分わかっていたので、「清々堂々とフェアに株式を持って、僕が社長としてやります」ということになりました。
そして僕が直接、投資調整庁に通い、会社設立の申請をして会社(PMA)ができました。

PMAとは
インドネシアの法律において、外国資本により設立された会社をPMA企業(Penanaman Modal Asing)と呼ぶ。国内企業はPMDM(Penanaman Madal Dalam Negeri)と呼ばれて区別している。いずれも株式会社(Perseroan Terbatas)となる。外国資本の場合の窓口は投資調整庁になる。

会社設立時に最初の資本金1,000万円のうち、僕が6割を負担することになっていました。マジョリティ(主導権)は僕にあるという形ですね。つまり600万円を出資することになっていたのですが、その600万円を作るのに苦労しました。

当時の「キラキラ銀座」での僕の日給は1,000円でした。一ヶ月フル出勤してもたったの3万円ですよ。

また、「キラキラ銀座」もノミニーの契約で、母親も名義人に入っていませんでしたので、名義を借りている人へのコミッション支払いで、ほとんど余裕はありませんでした。ノミニーの名義人のインドネシア人のオーナー夫婦がお店の経営を握っていたのです。

そこでまず僕は、店の売上の10%を報酬としてもらえるように交渉して、「儲けるか儲けないかは僕にかかっている」とオーナー夫婦に掛け合いました。お店は少しづつ売り上げが上がってきていたので、名義人であるオーナー夫婦も儲けたいと思いますよね。オーナー夫婦にとってみても、このまま僕をただの従業員扱いにしていると、いつ辞めてしまうかわからないし、なんとか繋ぎ留めておきたいという思惑から彼らは納得しました。

僕も月3万円の給料では、さすがのインドネシアでも生活するのにやっとでした。貯金なんてできませんからね。オーナー夫婦も「まあ売上が上がればいい」ような感じでした。

当時のキラキラ銀座という居酒屋は、売上からいくら利益が残せるかはある程度僕の胸三寸でした。実質的に僕が利益をコントロールできるようにしたのです。

具体的には、純利益を20%残すようにして、そこから半分の10%を僕が報酬として持っていくような値段設定にしました。まあ、それでも600万円貯めるのは大変でしたね。

竹谷氏のビジネスにおけるタフさがこの話から垣間見える。ビジネスにおいて最初の契約段階での厳格さはその後の成功へと必ずつながる。彼の海外での飲食店の成功はこの契約時の交渉のタフさにあると感じた。

ふつうであれば、早くお店を出したいがために「まあいいか」ということで厳密な契約を結ばない。「うまくいったらその時に」という口約束は、ほとんど海外では通用しない。ましてや中華系のビジネス相手にはまったくと言っていいほど通用しない。

3.海外の飲食店の出店開業の手続きで苦労したこと

飲食店海外進出

海外での飲食店開業で、どのような申請手続きが必要なのかなどを竹谷氏がその苦労を語った。

Q:役所関係で苦労したことは?

竹谷:僕が開業したのは2003年です。でも、申請はその前の2002年くらいから始めました。

その当時インドネシアでは、手続きごとについてはとにかく「賄賂」を払うのが通例だったんですけど、僕らは1円もアンダーテーブル(賄賂)を払わずに飲食店の申請を通しました。もちろん余分なお金もなかったものですから。でも、かなり後回しにされましたね。

投資調整庁という役所に週2回から3回通って、「このあいだの書類どうなった?」と、担当者にたびたび詰め寄ってました。そのうち完全に顔を覚えられ、「また来た。しつこい日本人だな」と言われてました。

結局、実際には申請してから許可が降りるまで1年かかりました。長かったですね。しかしここインドネシアでは、現在でも外資企業が飲食店を申請し許可されるのには、だいたい1年はかかります

法律上もレストランなどの飲食店は外資100%の進出が可能になったんですが、噂では1億円くらい投資しなければいけないという話でした。実質、「中小や零細企業はインドネシアに来るな」と言っているようなものですね。

最近の情報だと、この1億円という値段も2,500万円ぐらいまで下がった様子ですが、新法律になって以来、投資調整庁に新たに申請しているレストラン(飲食店)の起業はないという話です。

まとめ

海外で飲食店を出店開業して成功するノウハウについて、実際にインドネシアでラーメン店を中心に飲食店を出店開業して成功している竹谷大世氏にその秘訣をインタビューした。

今回は、
1.なぜインドネシアで飲食店を出店開業したのか
2.ラーメン店の開業まで
3.海外の飲食店の出店開業の手続きで苦労したこと
までをお伝えした。

海外において飲食店を出店開業するには、自分の中から湧き出る使命感と緻密な計算、さらに契約時のタフさが必要ということが竹谷氏からのインタビューで感じた。

彼の思いは、海外での飲食店ビジネスは「人のためになる」仕事であるということだ。この記事には書けなかったたくさんの困難もあったようだ。

ちなみにインドネシアで働くためには就労ビザが必須だ。就労ビザ以外のビザで働き、入国管理局や警察に拘留・強制送還されるケースが最近多くなっているので、日本人を雇い入れる場合も注意してほしい。実際に私のところにも問い合わせが急増している。就労ビザの取得方法については以下の記事を参考にしてほしい。

→ インドネシア就労ビザ取得方法まとめ
→ インドネシアのビジネスビザ取得~正当に査察を回避する徹底秘策〜
→ インドネシア就労ビザに関する用語解説まとめ
→ インドネシア就労ビザの取得方法【保存版】(その1)
→ インドネシア就労ビザの取得方法【保存版】(その2)

引き続き次回は、海外で飲食店が生き残っていくための秘訣や現地に受け入れられる味作りについて、そして従業員の指導方法などについてインタビューした内容をお伝えする。

以上、「海外で飲食店を出店開業して成功するノウハウ【経営者インタビュー1】」として、インドネシアで飲食店経営者として成功している竹谷氏のインタビュー1をお伝えした。

英語不要!コピペだけでバリから個人輸入ができる
ノウハウを詰め込んだマニュアルを無料プレゼント中

たった17日間で個人輸入ができるようになる方法をまとめました。まったく初めての人でも簡単に、時間をかけずに、失敗せずに個人輸入できるようになります。

すぐ使えるメール文章を載せてありますので、英語もインドネシア語も理解できなくても、コピペだけで個人輸入できるようになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です